砂場

これは、ただの砂場です。

体験

さいきんまた、ぽつぽつ小説のつづきを書き始めている。筆はどんどん遅くなる。

書いている途中、体験をするように感情が湧き上がることがあって、いまはそれを楽しみ、というか、その波が来ればいいのになとすがるように書き進めている。

それにはやはり、ひとりでぼーっとしている時間を長く持たないといけない。ひとりで暮らしているのだから容易に思われるかもしれないが、これが意外と難しい。つまりSNSのやりすぎである。物理的にはひとりであるが、ひとりでない。誰かとつながりつづけている。

露天風呂がよいのは、スマートフォンが手元にないこと。いつまででも長湯できること。ひとりでぼーっとできること。連休中はきっとどこに行っても混むのだろう。

春の雨

休みには海を見に行こうとぼんやり思っていたのに、布団から出たのは昼を過ぎていた。

鏡を見るたびに老けていく気がする。髪と肌だ。艶がない。化粧のりがしない。天気予報は雨。部屋のなかを見ると散らかっていてガックリする。どこからも逃げ出したいような気になって、玄関ドアを開けた。

小田急線は寒い。というのは、下北沢のイメージである。地下のホームにいると電車が通るたびに強く風が吹く。藤沢行きが来るまでポケットから手も出せずに待つ。その間が、寒い。長い。

藤沢駅で降り、江ノ電に乗り換える。藤沢に来るのが何回目なのかはもう忘れた。回数を重ねるたびにわくわくする気持ちが薄れていき寂しい。住宅街のあいだを通るときのあの緊張。

湘南海岸公園で降りる。雨は止んでいる。海に向かい歩く。いつも富士山が見える道で、その姿がない。今日は雲の中に隠れてしまっていた。

歩道橋からうすぐらい海を見た。風のせいで波が高い。天候が悪いのに、たくさんのサーファーが黒く浮かんでは沈んでいる。横断歩道をわたるウェットスーツが、ニキビを寒さで赤くした女の子であるのを見て、爽やかな気持ちになる。

くり返す波の音と、鳶の鳴き声で、この海を見に来たなと思う。

午後三時を過ぎているのに、雨だったというのに、江ノ島へ向かう橋にはたくさんの観光客が歩いている。十代の男の子たちが「よーし、いってみるかー!」と気合を入れて島へ向かっていった。

江ノ島のヨットハーバーの近くにカフェがある。初めて行ったのは、SNSで知り合った友人とだった。そのとき楽しかったのを思い出し、再訪する。

店内のテーブルが埋まっていたから、テラスに出たが寒い。風が強く吹いている。

食べ終わったら場所を変えようか、と考えていたら「テーブル席があいたので、よかったら中にどうぞ」と案内された。

しらすピザを食べ、ホットコーヒーを頼んだ。小説を書きたいと思って、やはり書けない。角田光代を読んだ。

この作家を知ったのは、友人が好きだと言うのを聞いたからだった。もう一年ほど連絡をとっていない。彼女とはぎくしゃくしたと思う。どうしてあんな風なすれ違い方をしたのか、未だに分からないでいる。

雷が鳴り、ばらばらと音を立てて雨が降った。日の入りは何時だろうと調べる。18時。17時半に出て、落陽を見に行こうと決める。

雨が止むと、店主らしい男性が店員の女性たちに声をかける。

「なあ、外、すげーんだけど」

男性に合わせ、女性たちがテラスに出る。見ると、傾いた日の光を受けた陸が輝いている。

「虹が出るかもなあ」と言いながら、写真をいくらか撮り、またそれぞれの仕事へ戻っていった。f:id:kimura_i_i_h:20240320232237j:image

 

 

動画

友人から送られてきた動画には、ふたりの男が映っていた。メガネの方は私も知っている男で、もうひとりはいわゆる「流し」のようである。アコースティックギターを胸に抱えている。

居酒屋の座敷である。店内はがやがやと酔っ払いの声で騒がしい。男らは声を合わせ、目を瞑り、「オリジナル・ラブ」を気持ち良さそうに歌っていた。

むかし付き合っていた相手から浮気をされ、婚約破棄をしたという男だ。以来卑屈なことばかり言う人だった。女という性別のことを悪く言いながら、好意に甘えるふしがある。独身だから好きにすればいいと思っていたが、友人のほうがこの男のことでいっぱいだった。

彼はあんまりいい人ではないよ、と言ったがそんな言葉で関係をやめられるならとっくにやめているだろう。

すこし呆れて遠巻きから眺めていたのだが、その送られてきた動画で、心底好きで、もうどうしようもないんだろうなあと分かった。カメラの手前にいる彼女は、オリジナル・ラブなんか聴かない。知らないはずだが、楽しそうに笑っている。

結局、男が部屋に女を連れ込んだと言って彼女が耐えられなくなった。というより、そもそも付き合っているつもりは男にはなかったようであった。彼女は男をうらんでいた。あの動画の短い時間だけがただ残るのだと思った。

信頼と人間関係

つくづく、人間関係とは不可逆なものであると思う。

失った信頼だとか、気持ちだとかを「取り戻す」ことはできない。ふたりの人間の関係は戻ることが出来ない。あたらしく構築するほかない。

血のつながった家族でさえそうなのだから、血のつながらない人間だっておなじだ。

 

週末の旅行のこと

自分のために記録として残しておきたいような出来事はいくつもあるのに、毎日の終わりにはただ疲れて眠りたい。

楽しみにしていた週末の旅行から帰ってきて、とてもさみしい。

木曜の夜、東京発の夜行バスに乗り仙台へ向かった。初めての仙台駅は積雪、早朝5時だった。

雪のつくる景色はどれも新鮮で、ただバスから見る住宅街にもわくわくした。足跡のない校庭。すべての屋根に均等に積もる雪。山々や田舎の景色はさらに美しく、寝不足を忘れて見入っていた。f:id:kimura_i_i_h:20240229000701j:image

ほんとうは旅の工程をすべて書き出したかったが、時間と体力が残らない。

大谷海岸はほんとうに美しかった。いくら写真に撮っても目で見たそのままに写らない。砂浜は真白な雪で、海は透き通った淡水色だった。小さな海岸は人気が少ない。海水浴場らしいが、夏は賑わうのだろうか。

海岸に面したホテルはシングルで、部屋の窓から海を見る。食事が素晴らしく、もう一度訪ねたいと思うホテルであった。

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松島はすこし残念だった。観光地である。人が多い。島々の形はおもしろかったが、ちいさな遊覧船を選べばよかった。寒くてもいい、もっと近くで見てみたかった。

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自分の楽しみが何にあるのだろうと考えている。やはり移動だと思う。移動をし、そこに何があるのかを見てみたい。知らない場所に行き、ただ確かめ、感心していたい。

それで、海と、夕日と、コーヒーがあれば最高に幸せなのになあと思う。帰る場所は東京で、新宿で、その西側の住宅街で、人ばかりである。ただ、ここで働いたお金がなければ移動ができないから、しかたない。次の移動のために働き、夜には気を失っている。

生きてる時間がのびるほど悲しいことが積み重なっていくようでひどいよなあと思う。すこし前まではぼんやりといつかくるゴールがあるようなつもりでいたけど、さいきんはまったくその感覚がなくなった。もうこのまま衰えていくだけの人生なのかと思う。

生きがいがないと他人に話したとき「余裕ができたってことだと思います、ぜいたくな悩みです」と笑って済ませた。ほんとうはその逆でずっと余裕がない。ずっと何かから逃げたい。すべて捨て置いてしまいたい。

だれかには「映画しかないです」と言われた。だれかには「音楽しかないです」と言われた。とてもよく分かる。自分だけじゃないのだと思った。それだけは慰めに思えた。でも映画を探す気力も、本を探す気力もないときはどうすればいいんだろう。

うつわ

自分は人間としての器が小さいんだなと思い知る日々です。

キャパシティを超えるとどうでもよくなる。判断や処理スピードを優先して「いまのは優しくなかったな」と反省することがたくさんある。

人の気持ちなんて分らないんだから割り切るしかないよと言われた。