砂場

これは、ただの砂場です。

口が悪い

社会に出ていつも敵だらけだと思って生きていると、じつはみんな友好的だということに気がついて驚くことが度々ある。

いまの職場はそれが顕著だ。

みんながみんな、誰かの仕事に文句を言っている。こんな中で働いていたら私のような能無しはすぐ砂袋にされると思い、怯えていた。実際、みんな最初は冷たかったと思う。

日に日に態度が変わるのが分かる。真剣に、真っ当に働いている人間の話はみんな聞いてくれるのだと分かった。この職場で文句を言う人達のいいところはみんな主体的であり、責任を放棄しないところだ。ただとにかく口が悪いおじさんたちである。

女のいない男たち

村上春樹「風」の文章だなーと思いながら読みすすめて、結局この人がずっと言っていることはこれなんだろうと思って慰められて泣いた。おもしろい物語とか、美しいシーンとか世の中にいくらでもあるけどこの人の作品を好んで読む人はみんな「女のいない男たち」なんだろーなーとそれも慰め。

仕事納め

一年はすぎればあっという間ではあったが、振り返るとさまざまな出来事も感情もあった。ゆううつな日や、腹が立ちくやしい日、張り詰めた日も多かったが、少しずつ生活にも仕事にも慣れてきた。

上司に年末の挨拶をしようと声を掛けると「あーはいはい」と面倒くさそうに流された。春、この人のことを苦手だと思った。いま、機嫌が悪いときには「怒ってますか?」と聞けるくらいには馴染んでいる。

そういえば、夜も眠れるようになっている。時間はかかっているがすべて回復に向かっているような気がする。

土曜日、江の島

土曜日はまた江の島に行った。

いつもひとりで行くときは稲村ヶ崎から江の島方面に向かって歩き、七里ヶ浜あたりから写真を撮ったり、海を眺めて本を読んだりする。

今回は温泉に入ってみたかったので、江の島へ直接行った。江の島アイランドスパ。

大浴場は目隠しがあり、あまり海が見えず残念であった。プール利用であればもっと楽しめたのかも。ただ土曜日であるのに人が少なく、快適だった。

晴れた日の砂浜にいる人たちはいつも健やかで幸せそうに見える。とてもいい(そうでない人もいるかもしれないが)。階段に座り、写真を撮る私の足元に、散歩する犬が近づいてくる。あいさつをする。

たくさんの人々がサーフィンを楽しんでいる。いくつもの黒い点が波の間を浮き沈みする。人間ではないなにか別の生き物のように見える。あるいは、人間という生き物が、ひとつの習性をもって波の間を漂っているようにも見える。ふしぎだ。
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海が好きだと気づいたのは、ひとりで小旅行に行くようになったこの2、3年ほどのことである。日が暮れていく海を、寒さに耐えながらずっと眺めていたい。

 

飲み会

お酒の席を心から楽しいと思ったことがない。オープンな場でオープンな話題を探しオープンな関係を築く。たしかに仕事の上で必要だと思う。しかしうまく仕事をするということに興味がないのだった。

もしもデリカシーについて何も配慮しなくていいならひとりの人に聞いてみたいことはいくらでもある。どんな家族構成でどんな街に育って学校ではどんな友達がいてなにが好きで得意でどんな興味を持って生きてきてどんな悲しいことがあったのか。それはクローズドで信頼のある関係であるかもしくは私がインタビュアーでないと許されない質問なんだろう。

最近観たもの読んだもの感想

ゲ謎

映像のグロさは感じなかったが、設定がキツかったことや、映像の光の激しさ、体調不良もあり途中から酔ってしまった。かわいそうであった。同人女に喜ばれるキャラクターはよく分かった。

モアザンワーズ

観始めたばかり。まだ2話。ネタバレのストーリーを読んでしまい、楽しめるかやや不安。どうしても「女性にとって都合の良い世界」に見える。自分を性的な対象としない優しいイケメンたちと仲良しなんてそれは楽しいだろうな、と思うとやや気持ち悪さを感じる。ただ、そんなことはどうでも良くなるくらい演技が上手い。ほんとうに上手い。感心する。

白河夜船

吉本ばなな。人にすすめられて読んだ「キッチン」「TSUGUMI」がどちらも良かったので期待しすぎた。ただこの人の書く浮気や不倫の関係、それから仕事をしない人や借金をつくる人などの描き方は好きだなと思う。なにか道徳的でない行為であっても、そのキャラクターの振る舞いを見ると「そういうこともあるよなあ」と思えてくる。

スプートニクの恋人

村上春樹。再読。あらためて好きだと思った。性描写に抵抗を感じなくなった。孤独は孤独のまま。

SPEC

8話くらいまで観たが飽きてしまった。ただ戸田恵梨香有村架純がとにかくかわいい。

湖畔の愛

町田康。再読。初めて読んだときは感動したはずだった。なにも心が動かなかった。町田康だなあ、という感想。

哀しみに寄り添う

伊集院静の短編集。とてもよかった。視線のあたたかさにぼろぼろ泣いた。慰めも励ましもなく、人生にただ孤独や哀しみがある。そこにこんな風にやさしく寄り添えるのかと思った。代表作も読んでみたい。

書きたいことがあるのに、言葉が散らばってうまくまとまらないときがある。気持ち悪く思い、書いては消しを繰り返す。この状態を「筆が乗らない」だと思っている。いま、筆が乗らない。もどかしい、楽しくない、おもしろくない。

はんたいに、するすると言葉が組立っていくときもある。思考するよりも先にアウトプットがある(ように感じられる)。あまりにピタリとハマるので、もしかして自分の言葉ではないのではないか、と不安になりもする。これは筆が乗っている状態。

思考よりも感情が先立つときは、いちばんおもしろい。今まで、文章を書いていてこの感覚はなかった。この一年半で集中して二次創作をして、はじめて知った感覚だった。感情の体験に近い。状態をあらわすために、適切な言葉を探す。その感情を思い出すようにあとで読み返す。第三者が読んだときにどう思うのかは分からないが、伝わればよりうれしい。

「筆が乗っている」状態の再現方法が分からない。たくさん歩いたあとや、集中して映像作品を観たあと、しずかな時間にひとりで起きているとき、書けるような気がして試しに状況を作ってみる。うまくいくときもあれば、いかないときもある。書けるときの自分が別人のように思う。もう二度と書けないような気がしてくる。

まとまった時間は必要に思われる。30分が4回と、2時間が1回ではまったく違う。こまぎれに書き進めることはできない。

趣味なのだから好きなときに書けばいい。分かってはいるが、この体験が何度もできれば最高に楽しいのになあと思う。そこにうまくたどり着けないときの苦しさで嫌になる。嫌になるのに、またあの感覚がほしいなと思い、うなりながら文字を打っている。

こうやって書くと自分が「書ける」みたいな、ずいぶんな態度に見える。えらそう。べつになにか特別なものが書けるわけではない。一年半前に書いたものはもう読み返せない。改行時の字下げもしたことがなかった。もっと自分で納得いくものを書けるようになりたいし、もっと創作を楽しんでみたい。もっとまとまった時間も体験もほしい。