砂場

これは、ただの砂場です。

出発前

鉄のかたまりが飛んでるのが感覚的に信じられないので、飛行機が嫌いである。ひとり旅は交通手段が選べるからうれしい。夜行バスに乗るのは二年ぶりだ。あれから二年、歳を取っているということだが、体力的にどうだろうか。

金曜日、終わらせるべき仕事のさいごの詰めができないまま、飲み会のため退社してしまった。どうするかすこし考え、会社のPCをキャリーバッグに詰めた。

 

新宿サザンテラス口に来ると、VERVEに立ち寄る。赤髪のくりくりとした目が印象的な店員さんに焼き菓子をすすめられた。

「これからバスに乗るので、ぽろぽろこぼれないやつがいいです」

「どこ行くんですか?」と言うイントネーションが、関西の人であった。「香川です、夜行バスで」

「わたし、XX出身で、香川に車でうどん食べに行ってました。香川ってうどんが安くて美味しくて、で、交通費の方が高くなっちゃうんですよね」

からっと笑っていた。はきはきと話す、爽やかな人だった。

 

テラスのベンチがライトアップされている。寒いかもしれないと思って羽織ったニットが、荷物を背負って歩くと暑く感じられ、風が心地よかった。

たくさんの人がベンチや階段に腰掛け、話し合っていた。ふたりだけの世界でキスをしているカップルも風景のなかに溶け込んでいる。

私もコーヒーを飲みながら日記でも書こうかと、スマホに目を落とし、しばらくして、視界の端に黒い影を見た。思わず「ぎゃっ」と立ち上がり、そのサイズがカブトムシ級にある、あの虫がスーと歩行するのを確認し、周りを見渡す。誰もわたしの挙動不審など気に留めない。ここに、その、みなさんの心の安全をおびやかすあれがいます。

もちろん、誰も知らなくていいことだった。静かにその場を立ち去った。
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